Tactics/Key諸作品におけるジュブナイル的主題の変遷と展開―通時性と共時性―(1)

第1章 本論の目的

  本論は,『ONE〜輝く季節へ〜』(1998年,Tactics),『Kanon』(1999年,Key),『AIR』(2000年,Key),『CLANNAD』(2004年,Key)*1,『リトルバスターズ!』(2007-2008年,Key)*2の五作品(以下,単にTactics/Key諸作品という)を,ジュブナイルファンタジーの連作として把握する立場から,一連のTactics/Key諸作品におけるジュブナイル的主題の変遷と展開,並びにその到達点を検討するものである。
  もちろん,Tactics/Key諸作品から読み解くことのできる主題は,ジュブナイル的な要素だけには限られず,極めて多義的な内容を包摂し得ると思われるが,本論の射程は,ジュブナイル的主題に関してのみ及ぶものであって,その余については保留する趣旨であることを,あらかじめ確認しておきたい。
  なお,本論では,ジュブナイルファンタジーという用語を,ジュブナイル(思春期の少年少女に特有な成長物語)という主題を備え,文芸様式としてのファンタジー(幻想的・空想的な要素を抽象的かつ不条理なまま包摂する架空世界観こそが,リアリズムそのものであるとみなす物語様式) *3という体裁を採る文芸作品,あるいは,ファンタジーの様式を用いて,ジュブナイル的な主題を表現する作品という意味で用いている*4

*1:外伝としての『智代アフター』(2005年,Key)を含む。

*2:リトルバスターズ!エクスタシー』(2008年,Key)を含む。

*3:剣と魔法のファンタジーと対比される文芸様式としてのファンタジーについては,拙稿「美少女ゲーム作品論 剣と魔法のファンタジー/文芸様式としてのファンタジー」(2007年3月,http://d.hatena.ne.jp/milky_rosebud/20070305/p1)において概説を試みている。たとえば,「まず注意しなければいけないのは,この世界の中での存在が希薄化し『永遠の世界』へと消え行く主人公,というこの展開が,実のところファンタジー的でもなければSF的でもなく,まして妄想などとは一言も言われていない,それまでの『日常』からきちんと地続きで描かれる徹底してリアルな場面だということだ」と説くアシュタサポテ「『ONE〜輝く季節へ〜』(1)」(2000年4月,http://astazapote.com/archives/200004.html#d02)も,剣と魔法のファンタジーではなく,文芸様式としてのファンタジーとして『ONE〜輝く季節へ〜』を把握する趣旨と思われる。

*4:詳細については,Brian Atteberyを援用する火塚たつや「永遠の世界の向こうに見えるもの」総論(2001年2月,http://tatuya.niu.ne.jp/review/one/eien/outline.html),火塚たつや「『Kanon』構造分析〜ジュヴナイルファンジーの証明〜」総論(1999年9月,http://tatuya.niu.ne.jp/review/kanon/%5Bkanon%5D(2).html),火塚たつや「えいえんの在処―えいえんは届いたか?」(同人誌『永遠の現在』308頁(2007年8月,C72http://members.jcom.home.ne.jp/then-d/html/project.html)所収)を参照されたい。