Tactics/Key諸作品におけるジュブナイル的主題の変遷と展開―通時性と共時性―(3)

第3章 『ONE〜輝く季節へ〜』におけるジュブナイル的主題―永遠否定―

 

(1) 主人公の物語〜折原浩平の永遠否定〜


(滅びに向かって進んでいるのに…?)
いや,だからこそなんだよ。
それを,知っていたからぼくはこんなにも悲しいんだよ。
滅びに向かうからこそ,すべてはかけがえのない瞬間だってことを。
こんな永遠なんて,もういらなかった。
(『ONE〜輝く季節へ〜』永遠の世界Ⅸ)

  『ONE〜輝く季節へ〜』共通シナリオの冒頭は,「永遠のある場所。…そこにいま,ぼくは立っていた」(プロローグ)という言い回しから,既に発生している「永遠の世界」へ「ぼく」が初めて到来した瞬間を,現在完了形で描写しているという推測が働く。このような見地から,時系列を追いかけていくと,プレイヤーキャラクターの「オレ」(折原浩平)が,日常的な生活世界でヒロインたちとの学園生活を過ごし,やがて非日常的な「永遠の世界」へと消え去り,元の世界に残してきたヒロインとの絆の深さによって生活世界への帰還を果たす物語として把握される。他方で,シナリオ構成については,「ぼく」が「永遠の世界」を旅しながら,かつて「オレ」が過ごした生活世界での日常を追想し続け,エピローグに到って,ようやく「永遠の世界」から生活世界への帰還が現在進行形で物語られていると読み解くことになる*1。あるいは,『ONE〜輝く季節へ〜』のシナリオ構成について,「その世界には,向かえる場所もなく,訪れる時間もない」(永遠の世界Ⅰ),「進んでいるようで,進んでいない。メビウスの輪だ。あるいは回転木馬。リフレインを続ける世界」(永遠の世界Ⅱ)という叙述に着目するならば,時間の概念が存在しない,ないし,時系列の円環構造が発生していると把握する余地もある。この場合,生活世界での日常は追想ではなく,現在進行形の物語として読み解くべきこととなるが,本稿の対象とするジュブナイル的主題の考察に際しては,捨象しても差し支えない程度の差異に過ぎない。
  そして,断片的・抽象的な描写に終始する「永遠の世界」については,そのファンタジー世界観を成り立たせるメカニズムを探求することを保留し*2,折原浩平が「永遠の世界」を離脱して生活世界に帰還するという現象に着目しながら,『ONE〜輝く季節へ〜』の主題性を求めていく。すなわち,「変わるはずがない[…]止まっている世界」*3からの脱却と,「すべて[が]失われてゆく[…]動いている世界」*4への回帰である。たとえ「滅びに向かって進んでい」ようとも,「失ったとき,こんなにも悲しい」としても,だ「からこそ,すべてはかけがえのない瞬間」なのであり,「こんな永遠なんて,もういらなかった」*5。なぜならば,「こんな永遠」では,「ぼく」が「絆を求めた」*6「きみ*7と一緒にいられ」ないのだから。
  とするならば,「みさおと一緒にいた場所」*8―幼少期に死別した妹(折原みさお)との思い出という,固定的世界に対する執着や願望とでもいうべき過去の際限ない延長としての永遠*9こそが否定されるべきこととなる。そして,「おとなになるってことは,そういうことなんだよ」*10というジュブナイル的な目覚めが訪れるであろうことが示唆され,「永遠の世界」における「ぼく」の独白は閉じられる―。このように読み解けば足りることになるだろう。
  以上が,主人公の物語*11として明かされる,プレイヤーキャラクター・折原浩平にとっての,端的な永遠否定のモチーフである。

*1:このような,プレイヤーが選択肢を通じてプレイヤーキャラクターに対して行動の指示を与える生活世界における描写こそが「永遠の世界」を旅する「ぼく」の回想であるという構成は,いわゆる遡及的過去形成型のマルチシナリオ解釈と親和するが,そのようなゲームシステムに起因する外在的要因については,本稿の検討対象外であることを断っておく。

*2:ONE〜輝く季節へ〜』ファンタジー世界観の探求を保留しない場合の検討として,たとえば,拙稿「Tactics/Key諸作品におけるファンタジー世界観〜時系列の共鳴・共振ないし円環構造,もしくは共時性〜(その1)」(2007年9月,http://rosebud.g.hatena.ne.jp/milkyhorse/20070920/1190136103)。また,先行文献として,Brian Atteberyを援用する火塚たつや「永遠の世界の向こうに見えるもの」総論(2001年2月,http://tatuya.niu.ne.jp/review/one/eien/outline.html),火塚たつや「『Kanon』構造分析〜ジュヴナイルファンジーの証明〜」総論(1999年9月,http://tatuya.niu.ne.jp/review/kanon/%5Bkanon%5D(2).html),火塚たつや「えいえんの在処―えいえんは届いたか?」(同人誌『永遠の現在』308頁(2007年8月,C72http://members.jcom.home.ne.jp/then-d/html/project.html)所収。

*3:ONE〜輝く季節へ〜』永遠の世界Ⅱより。

*4:ONE〜輝く季節へ〜』永遠の世界Ⅱ/折原みさおシナリオより。

*5:ONE〜輝く季節へ〜』折原みさおシナリオ/永遠の世界Ⅸより。

*6:ONE〜輝く季節へ〜』永遠の世界Ⅸより。

*7:ONE〜輝く季節へ〜』永遠の世界Ⅲより。きみは「永遠の世界」に住む少女ではなく,生活世界に残されたヒロインを指している。このことは,「ぼくを好きでいてくれる[…]きみと一緒にいられること」は,「この世界[永遠の世界]との引き替えの試練」なのであり,「どこにも繋がらない場所[永遠の世界]で,ぼく[はそ]の存在を,もっと切実に大切に思う」のだ,という描写から察せられる。ちなみに,「永遠の世界」に住む少女に対する呼称はキミ(みずか)ないし彼女である。

*8:ONE〜輝く季節へ〜』折原みさおシナリオより。折原浩平にとっての折原みさおという「亡妹」の存在意義については,くるぶしあんよ「兄の罪とその赦し〜『ONE』と『シスター・プリンセス』〜」(同人誌『永遠の現在』408頁(2007年8月,C72http://members.jcom.home.ne.jp/then-d/html/project.html)所収)を参照されたい。

*9:then-d「智代アフター試論―Life is like a "Pendulum"―」3.ふたつの「永遠の現在」性(2006年12月初出,同人誌『永遠の現在』205頁(2007年8月,C72http://members.jcom.home.ne.jp/then-d/html/project.html)所収)より。

*10:ONE〜輝く季節へ〜』永遠の世界Ⅸより。

*11:いわゆる「ヒロインと主人公の物語」のうち,「主人公の物語」に相当する部分である。この概念について,佐藤心「オートマティズムが機能する 2」(2004年,波状言論臨時増刊号『美少女ゲームの臨界点』178頁)。初出は『新現実 vol.2』(2002年,角川書店)。正確な言い回しは「トラウマの層(記憶と物語)」だが,分かりにくい表記であるため,本稿ではこの通り換言する。拙稿「馬と『ONE〜輝く季節へ〜』」2-1.(2006年8月,http://d.hatena.ne.jp/milkyhorse/20060827/p1#c2-1)も参照されたい。