Tactics/Key諸作品におけるジュブナイル的主題の変遷と展開―通時性と共時性―(2)

第2章 ジュブナイルファンタジーとしてのTactics/Key諸作品

  一連のTactics/Key諸作品について,そのジュブナイル的主題の系譜ないし連続性を見出す立場には,伝統的に一定の支持が寄せられているが,その典型的な分析は下記の通りである。
  すなわち,『ONE〜輝く季節へ〜』のジュブナイル的主題は永遠否定*1,『Kanon』のジュブナイル的主題は過酷な現実の受容*2,『AIR』のジュブナイル的主題は過酷な現実の克服*3が,それぞれ中核を占めている。より詳細に分析するならば,『Kanon』では永遠を否定して過酷な現実を受容するという段階が,『AIR』では永遠を否定して過酷な現実を受容し,さらにその過酷な現実を克服するという段階が,それぞれ克明に描写されており,この点にジュブナイル的主題の連続性を見出すことができるというのである。
 

1.主題と様式との峻別可能性―ジュブナイルたる所以―

  こうした一連の解釈の下においては,ジュブナイルファンタジーに占めるファンタジー世界観の諸要素は,あくまでも物語の様式に過ぎないものとして,物語の主題そのものとは峻別されることになる。なぜならば,文芸様式としてのファンタジーの下では,架空世界こそがリアリズムであるとみなされる以上,所与の前提として実在する世界観について,その存在を疑うことはもはや無意味であり,その原理に関心を寄せるべき必然も生じないからである。したがって,『ONE〜輝く季節へ〜』『kanon』『AIR』のジュブナイル的主題を考察するに際しても,「永遠の世界」や「奇跡」のメカニズム,"the 1000th summer"を巡る翼人伝承について,その詳細を捨象することすら構わないこととされる。
  たとえば,『ONE〜輝く季節へ〜』を巡って,「『向こうの世界』そのものを考察するのは,たしかにそれはそれで充分役に立つことではあるが,逆にいうと,それにあまりに深くのめりこんでも,ある程度以上になると,ストーリー読解には役に立たなくなる可能性が出てくるのだ。[…]それどころか,[…]『永遠』という言葉にとらわれ過ぎると,この物語は作者の意図した部分を突き抜け,加速度的に難しくなっていく」*4と評されたり,『Kanon』を巡って,「物語のテーマ,もしくはメッセージを探っていくためには,この物語をファンタジーとして受け取り,そのディテールを分析して見たところで,その甘さが砂糖によるものか,合成甘味料なのか,ということがわかるだけで,大した意味はない」*5と評されたりするのが,その典型である。また,『AIR』についても,"the 1000th summer"が神尾観鈴の死を不可避の宿命的結末と意義付けるための舞台装置に過ぎないと看破しても,いわゆる「ぎりぎりのバトンパス*6を読み解く上での深刻な障壁にはならないと見立てるわけである。
 

2.主題と様式との密接不可分性―ファンタジーたる所以―

  しかし,他方で,ジュブナイルファンタジーについては,ジュブナイル的主題とファンタジー世界観とが密接不可分な関係に立つことにも留意すべきである。というのも,文芸様式としてのファンタジーの下では,ファンタジー世界観が取り除けるというのはあり得ないことだからである。確かに,物語の主題と物語の様式は峻別可能かもしれないが,むしろジュブナイルファンタジーの場合,ファンタジー世界観とジュブナイル的主題とを,手段と目的の関係として把握する余地も,追究されてしかるべきなのである。
  したがって,Tactics/Key諸作品のジュブナイル的主題を考察するに際しても,そのファンタジー世界観を踏まえることは,過度に及ばない限り,それなりに有益である。ただし,そのファンタジー世界観について解き明かされるべきは,その原理ではなく,その現象でなければならない。これは,上述の通り,文芸様式としてのファンタジーであることからの当然の帰結である。
  以上を踏まえて,本稿では,Tactics/Key諸作品について,主題と様式を峻別した伝統的な見解例を概観した上で,さらにファンタジー世界観の側に若干踏み込んだ検討をしてみたい。

*1:典型的な見解として,影王「Last examinations」前提考察『ONE〜輝く季節へ〜』(2000年3月,http://www22.ocn.ne.jp/~pandemon/text/L.e_pre_e.html)を参照されたい。

*2:典型的な見解として,源内語録「『Kanon』考察」本章(1999年8月,http://www.erekiteru.com/gengoro/000021.html),影王「Last examinations」(2000年9月,http://www22.ocn.ne.jp/~pandemon/text/L.e_index.html)を参照されたい。また,火塚たつや「『Kanon』構造分析〜ジュヴナイルファンジーの証明〜」総論2(1999年9月,http://tatuya.niu.ne.jp/review/kanon/%5Bkanon%5D(2).html)の説く「失恋による成長」も同旨と思われる。

*3:麻枝准涼元悠一更科修一郎「Keyシナリオスタッフロングインタビュー」(2001年,『カラフル・ピュアガール』2001年3月号)によると,『AIR』は「最初に決まっている運命の枠内でどれだけ密度を高められるか,というテーマになっている」(涼元悠一氏)し,「ぎりぎりのバトンパスで繋いでいく,という感じで[…]登場人物すべてがぎりぎりで踏みとどまっていた,というか,頑張り続けたんだよ[…]ということを理解する」(麻枝准氏)という制作者意思が込められている。

*4:前掲・影王「Last examinations」前提考察『ONE〜輝く季節へ〜』(2000年3月)より。

*5:前掲・源内語録「『Kanon』考察」本章(1999年8月)より。

*6:前掲・麻枝准涼元悠一更科修一郎「Keyシナリオスタッフロングインタビュー」(2001年,『カラフル・ピュアガール』2001年3月号)における,麻枝准氏発言を参照されたい。