『リトルバスターズ!』伏線検証メモランダム:共通シナリオ・5月17日(その3)

 地道に『リトルバスターズ!』のテキストを分析していく作業の成れの果て。何が得られるのかは,やってみないと分からない。正直,作家論的アプローチに頼らざるを得ないのが目に見えているので,気分は敗戦処理。でも,がんばる。
 ただし,Refrain編であからさまに回収される伏線は,その場面で触れれば足りるので,いちいち考慮しない。(ネタバレ注意)
 
 今回も,前回に引き続き,西園美魚の初登場シーンを集中的に採り上げる。担当シナリオライターは,樫田レオ氏。

【西園】「………」
西園さんは黙ったまま,こちらを見ている。
じっと僕を睨んでいる。
…もしかして,怒ってる?
(中略)
きっと微妙な光の加減とかあったんだろうな。
睨んでいたのは眩しかったからだ,と思いたい。

(『リトルバスターズ!』共通シナリオ・5月17日)

 このとき,西園美魚は直枝理樹を「睨んでいた」のではなく,実は彼の背中越しに空を見上げていたのだ,ということは前回に検討した。きちんと,ミスリードを紛らせておくのも,手堅い。
 

表情を変えないまま,ぽつりと言った。
(中略)
【西園】「冗談です」

(『リトルバスターズ!』共通シナリオ・5月17日)

 素でボケておきながら,この一言で済ますのは,『ONE〜輝く季節へ〜』里村茜シナリオからの本歌取り西園美魚のキャラクターに,極めて高度なムッツリボケの精神が宿っていることを,それとなく作家論的アプローチで指し示している。もちろん,そんな作品外の知識がなくても,ここら周辺の描写だけで,このような彼女の性格付けは了解可能なはずである。
 

僕はさっき手渡した日傘に目を向ける。
自分の手元に木洩れ日が当たらないように置いてあったのだろう。
白い日傘。
それは珍しくもない日用品だ。
でも,その日用品のせいで,西園さんはクラスから少し浮いていた。

(『リトルバスターズ!』共通シナリオ・5月17日)

 実況調一人称による独白は,視線を追いかけながら。「白い日傘」がキー・アイテムであることの刷り込みが施されていく。こうして,「日用品」が日用品ではなくなっていく。日常から非日常へ。普通から特別へ。そして,たかが傘くらいで「クラスから少し浮いていた」とはどういうことか,と読み手側に少し疑問を持たせれば,しめたものだろう。
 

ほっとして,改めて西園さんを見る。
【理樹】「本を読んでいたんだ」
西園さんの右手には文庫本がある。
表紙の字は細かくて,題名を確認することはできない。
【西園】「はい」
新緑の季節のケヤキは目にも鮮やかな青葉を繁らせる。
穏やかな陽光がその葉をくぐって,僕らの元に届く。
ちらちら,と揺れる木洩れ日に初夏を知る。
【理樹】「本を読むには,とても気持ち良いところだね」
通り抜ける風が頬を撫でた。
【西園】「はい。わたしもそう思います」

(『リトルバスターズ!』共通シナリオ・5月17日)

 直枝理樹の視覚が,西園美魚の手許にある文庫本の白色の頁に向けられると,ケヤキの鮮やかな青葉に加えて,穏やかな陽光によるコントラストが,シームレスのまま色彩として染み渡ってくる。白に射し込む緑ときらめくプリズム。鮮やかから穏やかに。また,「ちらちら」と揺れる木漏れ日→通り抜ける風が「頬を撫でた」という叙述の順も,視覚として感知されたものが,一瞬遅れて触覚(風の音を含めれば,聴覚も)として体感される対比と連続を表している。こうしてみると,地の文が,登場人物たちの五感を読み手側に疑似体験させるべく,(地味に)フル回転している。
 ここでの描写の起点は,「文庫本」にあったわけだが,だからこそ,上記のようなイメージを通じて,直枝理樹と西園美魚との間で,「本を読むには,とても気持ち良いところだね」という共感(シンクロ)が発生することの説得力が,読み手側にも浸透してくることになる。ような気がする。
 

【西園】「はい,野球のボールです」
背中の後ろから白球を取り出した。
その小さな手のひらは,野球のボールを握るのさえ精一杯だった。

(『リトルバスターズ!』共通シナリオ・5月17日)

 小さな手のひらというフレーズを読むと,『CLANNAD』エンディングテーマ曲のタイトルというだけでなく,Tactics/Key諸作品で頻出する繋いだ手のモチーフを想起せざるを得ない。ちなみに,そのモチーフだけで一本の長文記事を書き上げることができるくらいなのだが,それに相応しいというほどの場面でもないので,ここでは割愛する。
 

【西園】「責任,取ってくださいね」
言いながら,ボールを差し出してくる。
【真人】「責任っ」
【真人】「………」
真人の白い目がこちらに向く。
【理樹】「いやいや,ヘンな想像しないで」
【西園】「あざになってたりしたら…困ります」

(『リトルバスターズ!』共通シナリオ・5月17日)

 西園美魚の発言は,どこまでが素で,どこからがジョークなのか,分かりかねることが多い。ちなみに,彼女のどこにあざができたら困るというのか! そして,あざができたら困ると彼女に拗ねられた直枝理樹の採るべき行動とは! と,少し盛り上がっておくのが読み手側の作法というべきだろうか(ただし,据わった目で)。
 

【鈴】「…!?」
僕が鈴と親しくない人と話しているのを見てか,鈴は後ずさる。
(中略)
【真人】「おら,いくぞ」
後ろにぽつんと立っていた鈴の肩を叩き,真人が戻っていく。
先を行く彼らに遅れないように,僕もケヤキの下を後にした。

(『リトルバスターズ!』共通シナリオ/棗鈴シナリオ1周目経過前・5月17日)

【西園】「いえ,平気ですから」
【鈴】「なにがなんだかさっぱりだが,理樹が悪い。謝っておけ」
(中略)
【真人】「おら,いくぞ」
僕と鈴の肩を叩き,真人が戻っていく。
鈴と一緒に,僕もケヤキの下を後にした。

(『リトルバスターズ!』共通シナリオ/棗鈴シナリオ1周目経過後・5月17日)

 棗鈴シナリオ1周目を経過する前後で,西園美魚と遭遇したとき,棗鈴の振る舞いが変わる。棗鈴の記憶と経験が潜在的繰り越されていくことが示唆されている。最初は西園美魚に近寄ろうとすらしなかった棗鈴が,ループを繰り返すうちに,ほぼ初対面な彼女との会話にごく自然に参加できるまでになっていくのだ。
 

【理樹】「じゃ,じゃあ,西園さん。またね」
最後に,振り返る。
木の陰に埋もれるようにして,西園さんは本を読んでいた。
僕の声に応えることもない。
ついさっきまでのことなんて,もう忘れてしまったみたいだ。
西園さんの視界には,僕らのことは入っていない。
その姿は,とても孤独に見えた。
閉ざされて──完成された世界だ。
(中略)
何の本を読んでいるんだろう?
次は,それを訊いてみようと思った。

(『リトルバスターズ!』共通シナリオ・5月17日)

 立ち去る途中で「振り返る」という挙動から,直枝理樹が西園美魚に惹かれていることが分かる(とりあえずは,「気になる」という段階からである)。ここで,彼女に対する関心を直接仕向けるのではなく,あくまでも彼女の読んでいる本を経由させるところがポイントなのだろう。「何の本を読んでいる」のか―そのとき彼女がどんな想いでいるのか―を知りたいのである。それにしても,本を共通の話題にして接近しようだなんて,何と地に足の着いた古風で素敵なことか!(個人的趣味)
 ところが,西園美魚のほうは,彼の「またね」という呼びかけに「応えることもな」く,視線を落として何事もなかったかのように「本を読んでいた」。そのような彼女の姿を指して,直枝理樹は「(西園美魚は)とても孤独に見えた」と独白するが,ここではむしろ,そのような孤独感は,同時に,直枝理樹自身にも向けられている。というのも,彼女から応じてもらえず,忘れられてしまい,視界から外されてしまったのは,彼自身の方なのだから。他人の孤独を感じ取れるのは,その人自身が孤独を知っているからであり,このとき二人の間では,孤独感が共時(シンクロ)している。
 とすると,直枝理樹が抱く孤独感の正体も,探られるべき余地が出てくる。そして,「閉ざされて」「完成された世界」(内閉世界そのものだ)は,やがて大きく揺さぶれるであろうことも当然に予想されなければならない。西園美魚シナリオだけでなく,Refrain編“Episode:理樹”に対しても,伏線が微妙に張られているということである。
 このように,人の想念が共時(シンクロ)するという構図は,Tactics/Key諸作品については,かなり有効なストーリー読解の端緒となり得るので,当てはめを試みない手はない。さらにいえば,『ONE〜輝く季節へ〜』の「永遠の世界」,『Kanon』の「夢の世界」,『CLANNAD』の「幻想世界」,『リトルバスターズ!』の「夢の世界」ないし「虚構世界」は,いずれも想念のシンクロというコンセプトによって,ファンタジー世界観とジュブナイルストーリーを密接不可分に連関させているのであって,このことも常に頭の片隅に留めておきたいところである。