テレビアニメ『CLANNAD』(BS-i)第04話「仲間をさがそう」ネタバレおぼえがき(その1)

 関東圏・TBSでの放送から3週間遅れ(実質4話遅れ)の挙句,さらにBS-iでの放送からタイムラグがあるという,ひどく執筆のモチベーションが下がりっぱなしな箇条書き。何が得られるのかは,やってみないと分からない。長文を速記できる才能がほしい(切実に)。でも,がんばる。一応,テレビアニメ版・京アニCLANNAD』に関する言及のつもりである。(それでも原作のネタバレ注意)
 
 

1.古河渚の勇気に感化され,彼女を励ます岡崎朋也〜仄見えてくる支え合いの循環構造Ⅰ〜

 第3話「涙のあとにもう一度」Bパートは,演劇部募集の「だんご大家族」チラシが学内の掲示板から全部はがされ,生徒会が古河渚を呼び出す校内放送が流れるところで,“つづく”と引き取られた。そこで,“つづく”と引き取られたからには,第4話「仲間をさがそう」を第3話「涙のあとにもう一度」からシームレスに把握して,徹底的に深読みしてみようではないか。したがって,今回の検討は,第3話「涙のあとにもう一度」Bパート後半についてから始めたい。
 


 

【朋也】「…ここ,チラシ貼ったよな?」
【古河】「はい,確か…」
【宮沢】「そこに貼ってあったチラシなら,さっき生徒会の人がはがしてましたよ」
【古河】「はがしたって,どうしてですかっ!?」
【宮沢】「許可を取らなかったからじゃないでしょうか」
【宮沢】「あれ,古河さんたちが貼ったんですか?」
(ピンポンパンポーン)
【朋也】「それじゃ,ほかの場所に貼ったやつも,全部…」
(3年B組,古河渚さん。直ちに生徒会室まで来てください)
【古河】「あっ…」

(繰り返します)
【古河】「………」
(3年B組,古河渚さん。直ちに生徒会室まで来てください)
【朋也】「古河…」
【古河】「………」


 校内放送が流されているスピーカーを古河渚が呆然と見上げるカットが入るが,最初のそれは第三者視点(岡崎朋也の視点ではない)になっていて,彼女の放心状態を客観的に印象付けようとしている。どうやら顔が無表情気味にこわばるというのが,古河渚の憂鬱を表すサインになっているようである(第2話「最初の一歩」でも,古河渚類似の表情をしていたことがある)。
 やがて,同じく校内放送に気を取られていた岡崎朋也が,我に返って古河渚のほうに顔を向けても(最後の古河渚の表情は,岡崎朋也の後ろ頭越しのカメラアングルであり,岡崎朋也の視点そのものではないが,彼が古河渚の顔を見ていることを想起させる),古河渚岡崎朋也と目線を合わせることもなく,依然として構内放送が流れるスピーカーの方向を見上げたままであり,やがておもむろに視線を落とす。
 こうしてみると,瞬時のことではあるが,古河渚のメランコリーが相当な緊張感を伴いながら描写されている。しかし,ここでもうひとつ見逃せないのは,そんな彼女の表情を窺う岡崎朋也のほうも,本当に心配そうな表情と声色で彼女の苗字を呼んでいるということである。
 

 
 そして,第4話「仲間をさがそう」アバンタイトルに入ると,生徒会室に呼び出された古河渚が戻ってくるのを生徒会室の前で律儀に待ち構えていた岡崎朋也は,さっそく彼女に質問を浴びせかける。

【朋也】「どうだった!?」
【古河】「困りました」
【朋也】「どんなこと,言われたんだ?」
【古河】「部員の募集は,一切禁ずるって」
【朋也】「なんだよ,それ!」
【古河】「演劇部は休部中なんだから,部としての活動も休止状態で,だから,部員募集のポスターに許可を与えることもできないんだそうです」
【朋也】「そんな馬鹿な話があるかよ!」
【古河】「わ……」


 (原作ゲーム版と比べると,実はかなり穏当になっているのだが)杓子定規な取り扱いをする生徒会の応対を古河渚から聞き出すたびに,岡崎朋也はいちいち腕組みをしたり,机を叩きつけてみたりと,かなり苛立った反応を見せて,興奮を隠さない。

【朋也】「おまえ,それ素直にわかりましたって答えたのか!?」
【古河】「頑張ったんですけど…。ルールはルールだからって言われました」
【朋也】「……ん…」
【古河】「………」
【朋也】「………」
【古河】「………」


 苛立ちを通り越して,半ば怒ってすらいる岡崎朋也は,その勢いに任せて,考え事をしながらせわしく指を動かすと,決断を下すかのように,もう一度机を手のひらで叩く。こういった躍起な態度をいちいち振舞うということは,岡崎朋也は,いつの間にかすっかり古河渚の演劇部再建計画に感情移入しており,彼女と当事者意識を共有してしまっているようである。そして,彼は力強く言い切る。

【朋也】「あきらめるな。まだ何か方法があるはずだ」
【古河】「そうでしょうか?」
【朋也】「なければ作り出すまでだ。こんなことで,おまえの夢を捨てるな」
【古河】「岡崎さん…」


 アバンタイトルでは,冒頭,生徒会室前の廊下で古河渚岡崎朋也が向かい合ったときに,相手の姿を見る二人お互いの視点からのカメラアングルが一度ずつ用いられた後,残りの場面ではすべて三人称視点からのカメラアングルが徹底されていた(二人の視点に近付くことはあっても,角度が微妙にずらされている)。また,このレイアウトは,彼らを遠くから見付けていた春原陽平(「どろり濃厚ジュース」を手にしている)による視点でもあり得ない。
 ちなみに,原作ゲーム版の岡崎朋也だと,この場面での応対は,彼が部活は勿論のこと,生徒会やクラスといった学内のあらゆる集団単位に対して一方的に懐疑的な感情を持ち合わせていたため,「あんなの無視して,やっちまおうぜ」「俺たちは,不良生徒,だろ?」*1といったふうに自分が集団単位から覚える疎外感の裏返し的な要素を拭い切れなかったものである(それはそれで意義があるのだが)。
 それに比べると,テレビアニメ版の岡崎朋也は,自分のことはさておき(ここは今後踏まえるべきポイントになるだろう),他人事についてならば,「夢を捨てるな」という価値観を素直に信奉でき,助力を惜しまない献身的な境地を既に持ち合わせていることが分かる。もっとも,この境地を彼がどこまで自覚しているのかについては,本人による独白がテレビアニメ版では割愛されているため,あくまでも不明である。
 

 
 とはいえ,これは心理学をかじった猥雑な余談になるが,そもそも,ここでの二人のテーブルに座る位置取り自体が,この段階での岡崎朋也古河渚に対する積極性と自己に関する消極性の両方を仄めかしていることは,実に興味深い。つまり,岡崎朋也が自分の左側を隠しながら,自分の右側が古河渚の左側に添うように座っているという配置は,彼自身の内閉世界は隠秘しつつも,彼女の内閉世界には共時する心構えがあるという暗喩といえなくもないのだ。
 この点については,Tactics/Key諸作品の先行アニメ化タイトルに照らすならば,TVA・京アニKanon』における天野美汐相沢祐一に対する立ち位置の変遷が参考になるだろう。

(TVA・京アニKanon』第8話「追憶の幻想曲〜fantasia〜」/第9話「子狐の子守歌〜berceuse〜」/第10話「丘の上の鎮魂歌〜requiem〜」)

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 当初,相沢祐一に対して心を閉ざしていた天野美汐は,彼に対しては自分の右側だけを向けて,決して左側を取らせなかった。ところが,“ものみの丘の妖狐”の伝承を告げるのをきっかけに,彼女は自分の左側を相沢祐一の正面に向けるようになる。そして,「同じ夢を見ていた」という共感に辿り着くと,ついに天野美汐は自分の左側を相沢祐一にさらしながら並び立ち,視線を共有しながら空を眺めるまでに到る。
 また,TVA・京アニCLANNAD』の場合,岡崎朋也の座り位置を裏返す当然の帰結として,古河渚にとっては,岡崎朋也に自分の左側を取らせながら,しかも並んで座るという位置取りが初対面時から頻発していることになる。これは結局,古河渚のほうは,岡崎朋也に対して相当早い時期から気を許している暗喩が成り立ち得るということでもある。

 ※校門に向かう坂道で二人が初めて出会ったとき,既に岡崎朋也古河渚の左横に並び立っていたことになる。

 余談はこれくらいにして,本論に戻りたい。
 


 
  それにしても,「おまえの夢を捨てるな」と古河渚を励ます岡崎朋也の台詞の何と前向きで頼もしいことだろうか。ここで,よくよく思い返してみると,第2話「最初の一歩」Aパートの頃の岡崎朋也ならば,通学路を一人で歩くときに

【朋也】「演劇部の再建…」
【朋也】「ま,退屈しのぎにはなるだろ」

このようにうそぶくことさえあったというのに,今や随分と心境に変化が生じたものである。
 


 
 岡崎朋也が第4話「仲間をさがそう」アバンタイトルで,演劇部再建の手伝いにかなり本腰になっているのは,おそらく,第3話「涙のあとにもう一度」Bパートで,古河渚がどうして演劇部を再建しようとするのか,その動機を彼が知ったことによるところが大きい。

 ※これらのカメラアングルでは,岡崎朋也古河渚の横顔を見つめながら彼女の話に聞き入り,しかも感銘を受けたことを示すために,第三者視点であることが強調されている。このような境地に岡崎朋也が到るまでの機微を,ここで詳しく振り返ってみよう。

 演劇部説明会の練習に付き合ったついでに,演劇部の部長候補なのに演劇のことを何も知らない古河渚を不思議に思った岡崎朋也は,思わず彼女に尋ねてしまった。


【朋也】「そもそもおまえ,どうして演劇をやりたいんだ。経験ゼロなんだろ?」

 ダンボールの真ん中に座っていた岡崎朋也が,端に寄って古河渚が座るスペースを作る所作に不自然さが微塵もないし,古河渚も,岡崎朋也の右隣に座ることに,躊躇が一切ない(上述の与太話が参考になる)。また,教室にいるにもかかわらず机と椅子を持ち出さず,床にダンボールを敷いて座り込むという上下感覚*2も見逃せない。
 

【古河】「好きだからです」
【朋也】「どんなところが」
【古河】「楽しいと思いました。みんなで演技するのって」

 岡崎朋也古河渚を見つめていることを第三者視点からのカメラアングルで強調し,彼の関心が今まさに彼女に向けられていることを指し示している。そして,古河渚の所作も,詳しくなくても「演劇が好きだからです」と言い切るときには,ためらいなく岡崎朋也に顔を向け,回想に入るときは正面を向き直すなど,いちいち細かい。
 

【古河】「わたし,小さい頃から学芸会とか,そういうの,病気で欠席しちゃって」
【古河】「学校も休みがちだったから,練習にも参加できなくて」
【古河】「だから,みんなでお芝居するのに,とても憧れてたんです」

 第三者視点の俯瞰的カメラアングルから,岡崎朋也視点による古河渚の横顔に切り替わる。
 

【古河】「だから,高校では,絶対に演劇部に入ろうと思ってました」
【古河】「三年間,演劇がんばろうって…」

 前向きな台詞の段階に応じて,彼女の表情と顔の向きが微妙に変化している。ここでは岡崎朋也に視線を向けることもある。
 

【古河】「でも,結局,高校でもあんまり学校に来れなくて…」

 辛い過去の回想に入ると,彼女の表情が心なしかうつむく。
 

【古河】「三年生になってからはずっと休んじゃって…」

 完全に顔を岡崎朋也から逸らし,うなだれてしまう。この間,岡崎朋也視点のカメラアングルが継続している。
 

【古河】「………」
【朋也】「………」
【古河】「だけど,それでもやってみたいんです

 第三者視点にカメラアングルが戻る。黙り込みかけた古河渚が「だけど」と言葉を続けた瞬間,彼女が小さくうなずき,そのとき岡崎朋也もつられるように上下に小刻みに揺れる共時(シンクロ)を引き起こしているところが興味深い。岡崎朋也は彼女から目を放さないし,完全に聞き入っていることが分かる。
 

【古河】「わたし,何にも知らないし,拙かったり,下手だったりするかもしれませんけど」
【古河】「それでも,できるところまでやってみたい…
【古河】「力を合わせて,みんなでひとつのことをがんばる」
【古河】「それは素晴らしいことだと思うんです」

 カメラが手前に引かれて,俯瞰的なアングルになる。メリハリをつけて,次のズームアップに備えている。遠目だが,古河渚が膝の上に置かれていた両手を,「力を合わせて」と言う瞬間から胸の辺りに引き寄せて組み直す動作が見受けられる。ちなみに,原作ゲーム版では演劇部説明会のスピーチの内容に組み込まれて建前調になって上記の台詞群が,テレビアニメ版では,岡崎朋也ひとりに向けられた彼女の本音調な台詞に格上げされている。しかも,「それでも,できるところまでやってみたい…」に到っては,テレビアニメ版のオリジナルである。これは重要な変更点なので,是非とも踏まえておきたいところである。
 

【古河】「わたし,そういうのが…」
(ここで深呼吸する)
【古河】「ただ,好きなんです。えへへ…」

 古河渚の深呼吸を第三者視点のズームアップで強調した後,岡崎朋也視点のカメラアングルに再び切り替わる。これだけ岡崎朋也視点のカメラアングルが多用されているということは,今回も,岡崎朋也の目に何が映り,彼が何を想ったのかという観点を想起することが有効に働くとみてよい。
 ちなみに,原作ゲーム版でも,「ふぅ,と小さく息をついて,古河は胸を手で抑えた」という所作は描かれていたのだが,原作のそれが「一気に喋りすぎた…疲れ」*3を表していたのに対して,テレビアニメ版のそれは,胸を手で抑えるのではなく,胸の辺りで両手を組む所作に変更されている。また,彼女の呼吸についても,息をつくだけではなく,深呼吸をするという変更が施されており,テレビアニメ版では,ここでの彼女の振る舞いを,彼女の小さな勇気(Tactics/Key諸作品に頻出する意味での「強さ」)の現われとして把握し直している向きがある。
 おまけに,ここで彼女の「えへへ」という笑い方から,ついに力みがなくなり,素朴な照れ笑いになっている。
 こうしてみると,この場面は,原作ゲーム版と比べると,彼女の新境地がまざまざと描かれている。原作ゲーム版の古河渚では,「三年生になってからはずっと休んじゃって…」と言いよどんだ後,言葉に詰まってしまい,「だけど,それでもやってみたいんです」のひとことが言えない脆弱な人間像に力点が置かれており,岡崎朋也もここで「わかった。もういい」と早々に引き取ってしまう有様で*4,実は彼女の心境への共感が不足していた。だから,原作ゲーム版では,ここで岡崎朋也が彼女を励ますべき必要性に偏ることになった(それはそれで意義があるのだが)。
 ところが,テレビアニメ版の岡崎朋也は,ここで口を挟まず,彼女の次の台詞を待つことができる気性の持ち主なのである。このときの彼女の心境に,彼はうまく共時(シンクロ)できている。しかも,原作ゲーム版では演劇部説明会のスピーチの内容に組み込まれて建前調になっていた台詞群が,上述の通りテレビアニメ版では,岡崎朋也ひとりに向けられた彼女の本音調な台詞に格上げされている帰結として,この場面の意義についても,古河渚岡崎朋也に励まされて頑張ろうとする側面だけでなく,むしろ,古河渚の本音に触れた岡崎朋也が彼女から感化される側面のほうに重点が差し替わっている変更点を見て取ることができる。
 

【朋也】「ん…」
【朋也】「それでいいんじゃないか」
【古河】「はい?」
【朋也】「今の,説明会でも話せばいいんじゃないかと思う」
【朋也】「なんていうか,おまえの言いたいことがちゃんと言えてた気がする」

 岡崎朋也は,ここでようやく,古河渚から視線を外した。つまり,裏返すと,ここまでずっと,彼は古河渚の話す姿に釘付けになり,すっかり聞き入っていたということである。岡崎朋也古河渚の横顔を見つめながら彼女の話に聞き入り,しかも感銘を受けたことを示すために,カメラアングルが第三者視点であることが強調されている。
 

【朋也】「だから,信じろ。自分の言葉を」
【古河】「はい…」
【朋也】「がんばれ,古河渚!」
【古河】「………はい!」

 要するに,確かにここで古河渚岡崎朋也から励まされて演劇部再建を頑張ろうという決意を新たにするんだけど,岡崎朋也古河渚を本気で励ますことができるようになったのも,実はいつの間にか彼女から感化されているからなんだよ,という緩やかな支え合いの反復表現に仕上がっているというのが,第3話「涙のあとにもう一度」Bパートから第4話「仲間をさがそう」アバンタイトルにかけての妙味なのではないかということである。ちなみに,第4話のたった55秒を引き立てるために,むしろ第2話から第3話を無駄に熱く語ってループしているのは,当欄の仕様なので,あしからず。(文責:ぴ)
 
 

2.古河渚の信頼に感化され,彼女に協力する春原陽平〜仄見えてくる支え合いの循環構造Ⅱ〜

 

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CLANNAD -クラナド-

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CLANNAD ~クラナド~ 通常版

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*1:CLANNAD古河渚シナリオ・4月21日。

*2:疎水太郎「麻枝准の上下感覚」(同人誌「永遠の現在」,2007年8月,http://members.jcom.home.ne.jp/then-d/html/project.html)による,「部屋の椅子に座らない人たちから」物語に振れ幅が生じるという指摘。

*3:CLANNAD古河渚シナリオ・4月18日。

*4:CLANNAD古河渚シナリオ・4月18日。