テレビアニメ『CLANNAD』(BS-i)第03話「涙のあとにもう一度」ネタバレおぼえがき(その3)

 関東圏・TBSでの放送から3週間遅れ(実質4話遅れ)の挙句,さらにBS-iでの放送からタイムラグがあるという,ひどく執筆のモチベーションが下がりっぱなしな箇条書き。何が得られるのかは,やってみないと分からない。長文を速記できる才能がほしい(切実に)。でも,がんばる。一応,テレビアニメ版・京アニCLANNAD』に関する言及のつもりである。(それでも原作のネタバレ注意)
 
 

3.岡崎朋也が“涙のあんパン”を口に放り込むまでの機微をカメラアングルで追いかけてみる

 第3話「涙の後にもう一度」Aパートには,勇気を出して笑顔で手を振った古河渚の許に岡崎朋也が駆け付けて,彼女の涙が零れたあんパンを食べるという印象的なシーンがある。その意味するところはさておくとして,小まめに切り替わるカット割りは,彼らのどのような心情の機微を描こうとしていたのが,まじまじと箇条書きしてみようというのが,今回の趣旨である。
 


 

・第1話の昼休みや,
・第2話の放課後が偶然気味だったのに対して,
・第3話の岡崎朋也は,自分の意思で古河渚に会うため中庭の木の下にやって来たわけだが。

 

【古河】「良かったです…」

・真正面を向いて,食事を再開した古河渚が食べ終わるのを待っていた岡崎朋也だったが(手ぶらだったから),彼女から話しかけられ,顔を向ける。

 

【古河】「勇気を出して…」
【古河】「がんばって手,振って…」
【古河】「許してもらえないかと思ってました…」
【古河】「わたし,岡崎さん,傷つけてしまいましたから…」

岡崎朋也が振り向いたので,彼の視点から古河渚の横顔を臨むカメラアングルに切り替わる。
・勇気を話すときは顔をまっすぐ前に向けて,岡崎朋也への申し訳なさに言及すると徐々にうつむいていく古河渚
・「いつの間にか,古河がパンから口を離していた」という原作の地書きの通り,彼女が話すうちにあんパンが口許から遠ざかっていく。

 

【朋也】「こっちこそ,悪かったな…ほんと」

・再び岡崎朋也が顔を真正面に,しかも視線を落とし気味に戻したことを示すカメラアングル。
・彼もかなりしんみりとした表情で,古河渚に話しかけていることが分かる。
・と同時に,古河渚の顔の向きから,このカメラアングルが彼女の視点からのものではないことも分かる。

 

【古河「……っ…」

・冒頭と同じカメラアングルに戻ったので,これでこの会話は引き取られるのかと思いきや,古河渚の身体が小刻みに震える。
・彼女が泣いた瞬間の目許はあえて映さず,視聴者による想起を促す。

 

【古河】「すみません…安心したら…」
【古河】「ほんと,馬鹿ですよね…」
【古河】「えへへ…」

古河渚の膝の上にあるあんパンの,皮のごまの部分に零れて染み込んでいく数粒の彼女の涙。このカメラアングルは,岡崎朋也からの視点である。
・そのことは,次の彼女を見つめる岡崎朋也のカット挿入から分かる。と同時に,これもやはり古河渚視点のカメラアングルではない。
・涙をぬぐう古河渚の横顔から,「えへへ」と岡崎朋也の方を向いて涙をたたえたまま笑顔を作るところまで,このカメラアングルも,角度的に,岡崎朋也からの視点であることが察せられる。

 ここまで,岡崎朋也の視点から古河渚を臨むカメラアングルは多用されていても,古河渚の視点から岡崎朋也を臨むカメラアングルは用いられていない。ということは,古河渚の細やかな挙動を映す画が多い一方で,実は,ここまでの場面での演出意図は,むしろ岡崎朋也の目に何が映り,彼が何を想ったのかという心情描写にこそ,重点が置かれているということではないだろうか。つまり,岡崎朋也が“涙のあんパン”を口にしたくなる動機付けを視聴者に想起させようとしているということである。
 ちなみに,これは余談になるが,原作ゲーム版では,この場面で,古河渚は「涙がぼろぼろと頬を伝って,顎から落ちて」しまうくらい大泣きし,結局,自分で泣き止むことができなかった(もちろん,笑顔を作るどころではなかった)。とするならば,この場面についてテレビアニメ版は,古河渚が自力で泣き止んで,涙をたたえながら笑顔を作ろうとさえするオリジナル解釈をあえて施しており,その結果として,以前,同じ校舎の中庭の木の下で岡崎朋也が古河渚に何気なくかけた「笑って,手を振ってみろよ」「ほら,にっこり笑顔だ」(第1話「桜舞い散る坂道で」Aパート)という言葉に,原作ゲーム版よりも程度の大きい物語化(重要な意味の後付け)を促している。
 “軽い気持ちで口にした台詞が,その台詞を口にした本人の意図をはるかに上回る重い意味を伴って,後に再び立ち現れる”というTactics/Key諸作品に頻出する構図が,早くもここで小さいながらも成立しているのだが,その度合いを比べると,テレビアニメ版は原作ゲーム版よりも前向きな人間像を古河渚に見出そうとする向きがあるのではないだろうか。
 


 

・無言で彼女の話を聞いていた岡崎朋也だったが,
・ちなみに,ここで映った岡崎朋也の顔は,古河渚の後ろ頭越しからのカメラアングルであり,彼女の視点を想起させる(そのものではない)。

 

【古河】「あ」

・おもむろに彼女の膝の上から,あんパンを奪い取る。第三者視点のカメラアングル。

 

【古河】「あっ…」

・あんパンを少し千切って,こともなげに口に放り込み,ごく自然な振る舞いで食べ切る岡崎朋也
・ここでようやく,古河渚の視点からのカメラアングルが用いられる。そのことは,一瞬挿入される古河渚の驚く横顔のカットでの,彼女の視線の向きと角度から分かる。

 

【朋也】「おまえ,馬鹿かもしれないけどさ…」
【朋也】「それでいいと思う」

・引き続き,古河渚視点のカメラアングルで,残りのあんパンを古河渚に返しながら話しかける岡崎朋也が映る。
・彼の振る舞いには,ぎこちなさや力みを感じさせるところがない。

 

【古河】「そうでしょうか…」

岡崎朋也からあんパンを受け取る古河渚。このカメラアングルは,第三者視点。
古河渚は,正面を向き直してから,伏目がちになって言葉をつぶやく。

 

【朋也】「俺もそうだからな」
【朋也】「同じ場所に居る」

・語りかける岡崎朋也の姿は映らず,古河渚視点のカメラアングルから,彼女がうつむきながら見つめる膝の上のあんパンに注目が集まる。
・このカットによって,岡崎朋也が千切って口に放り込んだのが,彼女の涙が零れ落ちた皮のごまの部分だけだったことが分かる。

 ちなみに,これも余談だが,原作ゲーム版では,古河渚の零した涙は,「手に持ったパンの食い口に吸い込まれてい」き,岡崎朋也はそんな涙でびしょ濡れになったあんパンの食い口の部分を千切って,口に放り込み,「口の中のパンを噛みしめ」て,涙の味が伝わってくる,とされていた。
 それに比べると,テレビアニメ版では,食い口とは関係ない皮の部分に数滴ポツリと落ちた涙の箇所を千切って,ごく自然な振る舞いで何気なく一瞬で食べ切るという所作そのものに重点が移されており,結果として,やや穏健な表現になっている。少なくとも,「古河の涙を飲み干したくなった」という原作ゲーム版の岡崎朋也とは,似て非なる心境でテレビアニメ版の岡崎朋也は“涙のあんパン”を食べたことになるのではないだろうか。テレビアニメ版では,岡崎朋也についても,原作ゲーム版よりも前向きな人間像が見出されようとしているのかもしれない。
 

【朋也】「世渡りがうまかったり,巧妙に駆け引きする奴らから遠い場所だ」

・このとき岡崎朋也は空を見上げていることが分かる。第三者視点のカメラアングル。

 ここで,岡崎朋也は,このように自分と古河渚の居場所が内閉的であるかのように話すのだが,そんな彼らに対しても,青空は開けていて,陽光は平等に降り注いでいる。この青空を,決して手の届かない場所と突き放すか,それとも,どこかで繋がっている場所と受け容れるか。“いかに過酷なようであっても,その人の境地次第では,世界の美しさを発見できるかもしれない”というTactics/Key諸作品に通底する世界観が指し示されているかのような,何とも意味深なレイアウトである。
 

【朋也】「しんどいこともあるだろうけど…」
【朋也】「ひとりで泣いてるぐらいだったら…」
【朋也】「俺を呼べよ」
【古河】「えっ…?」

・結構,神妙な面持ちで岡崎朋也の話を聞いていた古河渚だったが,
・彼の思いがけない一言に,思わず素の声を発して,顔を上げてしまう。

 

【朋也】「あっ…いや…」

・自分でも自分の言ったことに驚いたのか,古河渚の声に反応して,岡崎朋也は思わず彼女のほうを向いてしまう。
・しかし,一瞬で視線を逸らし,戸惑いを交えた表情を浮かべながら,うつむく。
・さらに,彼女の顔色を窺おうとしたのか,ちらりと彼女のほうに視線を飛ばす(でも,やっぱり一瞬で戻す)。
・ここでのカメラアングルは古河渚の後ろ頭越しであり,彼女の視点そのものではない。

 

【朋也】「どうせ暇だからな」
【朋也】「おまえと関わってると,退屈しないで済みそうだし」

・そして,改めて岡崎朋也はすました顔を作って,彼女から顔をそむけたまま話を続ける(照れ隠しですね)。
・やはり,古河渚の後ろ頭越しのカメラアングルが続く。この間,彼女はじっと岡崎朋也を見つめているわけであり,画面には直接映されないけれど,岡崎朋也はきっと見ているはずの彼女の表情に,視聴者の関心を引き寄せていく演出上の狙いもありそうである。

 

【古河】「わかりました」
【古河】「泣きそうになったら,呼びます」

・満を持して,再び登場する古河渚の表情アップ。このカメラアングルは,岡崎朋也の視点からのものである。
・返事をする古河渚だが,今度は涙が乾いている。そして,満面の笑顔。泣いた直後だからか,はたまた好意の表れなのか,頬がほんのり赤い。

 このように後半になると,一転して,古河渚の視点からのカメラアングルも登場するようになった。最後は,彼女の涙の乾いた後の笑顔で引き取られるわけだが,これは彼女が岡崎朋也によって心底励まされたからこそ,浮かべることのできた表情である。とするならば,前半の岡崎朋也視点のカメラアングルが,彼が“涙のあんパン”を口にしたくなる動機付けを示唆し得るのと同じく,後半の古河渚視点のカメラアングルについても,やはり,そのとき彼女が何を目にして,何を想ったであろうかを想起してみるといいのかもしれない。
 

・引き続くカットは遠景になっているが,岡崎朋也が笑顔の古河渚を見つめている。
・このカットのおかげで,その直前の古河渚の表情アップが,岡崎朋也視点であることが分かる。

 

【朋也】「………」
【古河】「………」

・そして,いつの間にか見つめ合っていたことに気付いた二人は,我に返ると,
・そそくさと視線を逸らし合い,古河渚は食事の続きに戻り,岡崎朋也も冒頭と同じく所在なさげになる。
・ちなみに,この遠景カットの二人が肩から上だけになっているのは,伊吹風子の出現を隠すためだったというオチまで用意されている。

 


 
 これら一連の場面では,やたらとカットが切り替わるような印象があったが,こうしてみると,さすがに無意味なカットはひとつもなかったし,むしろカメラアングルが雄弁に物語っている観すらある。やはりこれは,絵コンテの段階で、相当細かく芝居が想定されていたということではないだろうか。
 TVA・京アニKanon』でもそうだったが,Tactics/Key諸作品のテレビアニメ版(京都アニメーション制作)には,原作ゲームでは実況調一人称の地書きで施されていた登場人物の微細な心情の移ろいを,カメラワークの視点切り替えや風景描写のレイアウト,はたまた登場人物の視線や表情,あるいは台詞の声色を介して映像再現しようとする傾向がある。
 また,特定の人物視点からカメラアングルが向けられるときは,映し出された相手の心情を描写するだけでなく,そのような情景を目にすることをあえて選んだであろう視点人物の心情も仮託されていることがあり得る。
 以上の点を踏まえながら観ていくと,深読みに耐えれるだけの見所を発見することができ,視聴の面白味が増すかもしれない。(文責:ぴ)
 
 

4.世界の見方が広がり始めた岡崎朋也〜生活世界と幻想世界Ⅱが指し示そうとするもの〜

 

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