テレビアニメ『CLANNAD』(BS-i)第01話「桜舞い散る坂道で」ネタバレおぼえがき(その2)

 関東圏・TBSでの放送から3週間遅れ(実質4話遅れ)の挙句,さらにBS-iでの放送からタイムラグがあるという,ひどく執筆のモチベーションが下がりっぱなしな箇条書き。何が得られるのかは,やってみないと分からない。長文を速記できる才能がほしい(切実に)。でも,がんばる。一応,テレビアニメ版・京アニCLANNAD』に関する言及のつもりである。(それでも原作のネタバレ注意)
 
 

2.なにもかも…変わらずにはいられないです。/俺達は登り始める。長い,長い坂道を。

 というわけで,第1話のアバンタイトルについて検討する。モノトーンで始まった映像が,ある瞬間から,不意にカラー映像に転調する。石原立也監督のコメントによると,「主人公が誰かと出会うことによって世界が変わる」ことを単純に表す演出ということであり,過去の京都アニメーション制作作品に照らすと,TVA『涼宮ハルヒの憂鬱』放映話数第2話「涼宮ハルヒの憂鬱Ⅰ」アバンタイトルで典型的に使われた手法に過ぎない。
 しかし,『CLANNAD』原作を踏まえてみると,このアバンタイトルに尋常ではない情報量が詰め込まれていることが仄見えてくる。物語の冒頭であるだけでなく,「世界が変わる」ほどの分岐点として意義付けられたこの岡崎朋也古河渚の出会いのシーンからは,『CLANNAD』作品群に通底する通時的境地を読み取ることもできるのである。ような気がする。

この町は嫌いだ。
忘れたい思い出が染みついた場所だから。

(TVA・京アニCLANNAD』第1話「桜舞い散る坂道で」アバンタイトル

 京アニCLANNAD』における第一声は,岡崎朋也の独白からである。「この町は嫌い」で,しかもそれは「忘れたい思い出が染みついた場所だから」というのだが,いったい彼が「忘れたい思い出」とは何だろうか。第1話で後に示唆される父子の不仲程度で片付けられるものだろうか? 父子の断絶ならば,「思い出」自体が欠落していることになるわけだが。しかも,岡崎朋也は,その「忘れたい思い出」を具体的に口にすることができないでいる。
 そもそも,顧みて心が痛むほどの「思い出」とは,失われることが悲しくて仕方なかったものであり,「染みつく」ほどたくさん存在していたものでなければならない。そんな「思い出」は,何時得られた(る)というのだろうか? 少なくとも,同じ原作者によるTVA・京アニKanon』を踏まえるならば,思い出という言葉から単純に否定的なニュアンスだけを読み取るわけにはいかないのである。


(TVA・京アニCLANNAD』第1話「桜舞い散る坂道で」アバンタイトル

(TVA・京アニCLANNAD』オープニング映像「メグメル」)

 ここで上下感覚に着目すると,アバンタイトル冒頭,視点は「高い空」から「この町」の地平に向かって急降下している。そして,このカメラワークは,実はオープニング映像の最初で,幻想世界にいるガラクタ人形が頭をわずかに上げて,ぎぎぎと吹雪の中で「高い空」を見上げて急上昇するカメラワーク*1対比できるように仕上がっている。このように,「高い空」を介して,生活世界と幻想世界を連続的に把握できるような描写があることは,何とも意味深である。
 もう少し触れると,オープニング映像でガラクタ人形が空を見上げるとき,流れる「メグメル」の歌詞は「透き通る夢を見ていた 柔らかい永遠 風のような微かな声が 高い空から僕を呼んでいる」という箇所と見事なまでにシンクロしている。しかも,この歌詞の主体が幻想世界のガラクタ人形であるという発想は,実に素晴らしい。ちなみに,このオープニング映像(ネタバレ)の幻想世界は,テレビアニメ本編からなぜかカットされた『CLANNAD』原作冒頭の“プロローグ”を完全再現したものなので,今後のテレビアニメ版での幻想世界の取り扱いに注視しておこう。

校門まで残り200メートル。
一度立ち尽くす。
【朋也】「はぁ」
ため息と共に空を仰ぐ。
 
【声】「はぁ」
別のため息。俺のよりかは小さく,短かかった。
隣を見てみる。

(『CLANNAD』共通シナリオ・4月14日)*2


(TVA・京アニCLANNAD』第1話「桜舞い散る坂道で」アバンタイトル

 立ち尽くし溜息をつく動作のシンクロ。“立ち尽くす→溜息→立ち尽くす・溜息(→隣に並ぶ)→ちらりと隣を見る”の順。しかし,同じ遅刻であっても(時計の針が10時12分頃を指しているカットがある),岡崎朋也の方は悠長なサボり癖があるだけだが,古河渚の方は,文字通りその場に何時間も立ち尽くして,結果的に遅刻になってしまっているのではないだろうか? 同じ挙動をしていても,実は二人の間には微妙な境地のすれ違いが存在している。

【朋也】(こうしていて,いつか何かが変わるんだろうか)
【朋也】(変わる日が来るんだろうか…)
(中略)
【女の子】「うんうん…」
(何かを自分に言い聞かせるように,目を瞑って,こくこくと頷いている。)
【女の子】「あんパンっ…」
【朋也】「…?」
(そして少女は目を見開く。)
【女の子】「この学校は,好きですか」
【女の子】「わたしはとってもとっても好きです」
【女の子】「でも,なにもかも…変わらずにはいられないです」
見知らぬ女生徒。
俺に向けられた言葉ではなかった。
多分,心の中の誰かに語りかけているのだろう。
【女の子】「楽しいこととか,うれしいこととか,ぜんぶ」
(鞄を持つ両手をぎゅっと握る。)
【女の子】「ぜんぶ,変わらずにはいられないです」
(じっと,高みにある校門を見つめた。)
【女の子】「それでも,この場所が好きでいられますか」
………。
【朋也】「見つければいいだろ」
【女の子】「えっ…?」
(少女が驚いて,俺の顔を見る。)
(まるで,今まで誰もいないと信じていたかのようにだ。)
【朋也】「次の楽しいこととか,うれしいことを見つければいいだけだろ」
【女の子】「………」
【朋也】「ほら,いこうぜ」
俺達は登り始める。
長い,長い坂道を。

(TVA・京アニCLANNAD』第1話「桜舞い散る坂道で」アバンタイトル

 実は,テレビアニメ版では,古河渚の台詞と立ち居振る舞いのタイミングが,『CLANNAD』原作とはかなり違う。そのせいか,原作に比べると,幾分か古河渚の沈鬱感が薄れている。(括弧書きの行の地書きは,テレビアニメ版にはないが,相応する映像描写がある分を,原作から補ったものである)

 変わることを望みつつも倦怠感に囚われた少年と,変わらずにはいられないことを悲しんで立ち尽くす少女。ここで結局,岡崎朋也の台詞に後押しされて,古河渚は「変わらずにはいられない」学園(光坂高校)への坂道を登ることを選んだわけである。
 しかし,繰り返しになるが,所詮,このときの岡崎朋也は,「変わらずにはいられない」=失われることが悲しくて仕方なかっただけの「楽しいこととか,うれしいこと」の真価を,まだ知らない。このときの彼の台詞は,古河渚が抱いていた悲しみやおそれの境地には心底共感できてはいないのである(もちろん,彼なりに考えてはいるのだが,全然足りていないのだ)。それでも,彼が口にした「変わること」を望む気持ちは,彼だけでなく彼女の物語にも,確実に何かをもたらそうとしている。
 このような,小さいながらも内包されてしまった齟齬を見過ごせないというのならば,“軽い気持ちで口にした台詞の意味が実はとても重く,その台詞を口にした本人自身にとって,乗り越えるべき壁として後に立ち現れるかもしれないという構図”を,今から留意しておいて損はない(我ながら,すごく歯切れが悪いなあ)。

【声】「わたしと一緒にいく?」
【声】「ついてきたってことは,そうするんだよね?」
【声】「覚悟できてる?」
【声】「じゃ,一緒にいこう」

(『AIRAIR編・7月16日)

 おまけ。この作品の原作者は,前作『AIR』でこういう文章を書いてしまった人なんだよなあ(…遠い目)。


 そして,(小さな齟齬を来たしつつも)このような境地を指し示す古河渚の「なにもかも…変わらずにはいられないです」と台詞と岡崎朋也の「俺達は登り始める。長い,長い坂道を」という独白が,それぞれ「変わってしまうこと,無常なこと」を表す“舞い散る桜”と、「うれしいこと 悲しいことも 全部まるめて」*3歩むしかない「長いきる時間」を表す“坂道”という二つの情景描写と対応していて,しかも,EDテーマソング「だんご大家族」の原曲・BGM「渚」のサビの部分と岡崎朋也の台詞「次の楽しいこととか,うれしいことを見つければいいだけだろ」がシンクロしているといった演出の妙については,てりぃ氏による的確な指摘があるので,それを援用させていただく。


(TVA・京アニCLANNAD』第1話「桜舞い散る坂道で」アバンタイトル

 この後,長い坂道を登り始めた二人の姿(生活世界)が真っ白にフェードアウトして,オープニング映像の「白い世界」(幻想世界)が起ち上がるという連続性が確保されているのも,見過ごせないポイントだろう。


 さらに,アバンタイトル古河渚のアップから徐々に離れながら回り込むカメラワークと,オープニング映像のラストで古河渚が遠ざかって消えていくカメラワークが対比になっていることについても,なしお氏による的確な指摘があるので,それを援用させていただく。


(TVA・京アニCLANNAD』第1話「桜舞い散る坂道で」アバンタイトル

 第1話のアバンタイトルでは,古河渚左→右→左の順で移動していく。その表情には,何かを発見した小さな驚きが含まれており,世界にはしっかりと色が根付く。他方で,オープニング映像では,古河渚右→左→右の順で移動していき,笑顔を浮かべながら消えていく。この二つの表情の間には,途方もない境地の違いがある。ような気がする。
 これはおそらく,かつて,同じ原作者によるTVA・京アニKanon』が「最後まで笑ってる強さをもう知っていた」と謳い,TVA・京アニAIR』も「最後は…どうか,幸せな記憶を」「さようなら」と祈ったことを,想起せざるを得ない作品横断的なモチーフになっている公算が大きい。

(TVA・京アニCLANNAD』オープニング映像「メグメル」)


 ちなみに,オープニング映像で,古河渚の姿が光の中に消え去った直後,再び光の球が空に向かって一斉に浮き上がっていく情景に繋がっていくことについて,「散っていくものが反転する」比喩であるというてりぃ氏による的確な指摘があるので,やはり援用させていただく。
 ここは原作ゲームのオープニング映像の忠実な再現に過ぎないのかもしれないが,そもそも,終わりから(こそ)再び始まるというコンセプトは,原作のTactics/Key諸作品において,『MOON.』(1997年,Tactics)から『ONE〜輝く季節へ〜』(1998年,Tactics),『Kanon』(1999年,Key),『AIR』(2000年,Key),『CLANNAD』に到るまで脈々と受け継がれている作風なので,今回のテレビアニメ版にも射程が及ぶ公算は大きい。


(TVA・京アニCLANNAD』オープニング映像「メグメル」)

 (文責:ぴ)
 

4.二人の立ち位置と距離感からみる岡崎朋也と古河渚の急接近

 

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*1:カメラワークが急上昇する直前,雪に埋もれたガラクタ人形が,カクンと頭をもたげる動きが小さく描き込まれている。

*2:原作とテレビアニメでは,細部が異なっているのだが,参考までに。

*3:TVA・京アニCLANNAD』EDテーマソング「だんご大家族」歌詞より。